KAZUの世界

春馬さんが亡くなってから春馬さんのファンになった者です。

春馬さんの月命日とカネ恋は断っていた

春馬さんの月命日

 

今日は、春馬さんの21回目の月命日です。

 

これからは以前にも書いたことがある、亡くなった春馬さんとのやりとりを書こうかと思います。

 

亡くなった霊とのやり取りというのは、こちらの想い一つで結果が違ったりします。

 

これから書く内容は、私が春馬さんとのやり取りを書きますが、信じるか信じないかは読んだ方が決めてください。

 

やり取りを始めたのは、春馬さんが亡くなったと知ってから、半月くらい過ぎてからだったと思います。

 

人が亡くなった直後は本人もかなり混乱している場合が多いので、しばらく過ぎてからのほうが良いようです。

 

初めは、春馬さんは苦しそうでした。

でも、春馬さんは少しづつ落ち着いてきました。

 

それから少しづつですが、話せるようになってきました。

 

話すようになってから、春馬さんは一週間ほどだったと思いますが、泣き続けていました。

 

よほどつらいことがあったのでしょう。

私は聞くことをせず、春馬さんが気がすむまで泣くのを待っていました。

 

私が毎日見ている春馬さんの動画を、一緒に見ていました。

その時には、動画と一緒に歌ったり踊ったりしていました。

 

基本、静かに私と一緒に見ていました。

 

ところが、春馬さんの最後の遺作となったカネ恋の時だけは見ようとしません。

 

私に見るなとは言いませんが、いつも一緒に見ていたのに、カネ恋の時だけは後ろ向きになって、ドラマを見ようとはしません。

 

私は、春馬さんが辛いのだろうと思い、何も言わず黙ってドラマを見ていました。

 

終わると普通に一緒に又動画を見たり、私が仕事中に聞く春馬さんのキンキーブーツの曲や、春馬さんの曲5曲を繰り返し聞いているものを一緒に聞いていました。

 

そのうち、少しづつ話してくれるようになりました。

 

これから、少しづつその内容を書いていこうと思います。

 

  

 

カネ恋は断っていた

 

これから春馬さんが言っていたことを書きますが、私が聞ける範囲で聞いたことです。

 

春馬さんが言っていても、私が聞きとれないこともあります。

 

私が聞いても春馬さんが答えてくれないこともありますので、そんなときは無理に聞きません。

 

春馬さんが話してくれたのは、カネ恋のドラマの放送の後でした。

 

無理しなくていいから言える範囲で、と言いましたら、少しづつ話してくれました。

 

とにかくこのドラマは、話の段階で嫌だったので断っていたそうです。

 

嫌な予感しかなかったそうです。

 

断り続けていたら、事務所があんなに渋っていた退所をほのめかし始めたそうです。

 

このドラマを受けたら退所していいという事でした。

 

春馬さんも監督を土井監督なら受けてもいいと言いました。

 

それが、引き受けてから土井監督の名前は無くなって、例の2人に変わっていました。

 

ドラマのキャストのメンバーとの顔合わせの日の雰囲気が、何とも表現がしがたいものだったといいます。

 

嫌な予感しかありませんでした。

 

でも、引き受けた仕事です。

 

頑張るしかない、と自分を奮い立たせて頑張りました。