子役出身の春馬さん
思春期でも仕事があった春馬さん
春馬さんは、7歳の時に朝の連続テレビ小説「あぐり」にエキストラとして出ていました。
エキストラと言っても、おにぎりをねだる男の子の役でしたから、せりふもあるので、ちゃんとした役だと思いますが、ご本人はエキストラだと言っています。
その後、小学校、中学と仕事が切れ間なくあったといいます。
特に凄いと思うのは、中学生くらいになると、子役の仕事というのはほとんどなくなる子が多い中、春馬さんは切れ間なくあったようです。
やはり天才子役と言われていただけあります。
本人は、土日だったか日曜日だけだったか覚えていないけれど、アクターズスクールに行くのがとても楽しかったと言っています。
やっぱり春馬さんには、役者という仕事が天性のものだったのかもしれませんね。
ある動画の人が言っていましたが、当時は、母親の再婚相手が893だったといいます。
今は組は違いますが、893のようです。
その義父が自分が裏で掛け合ったから、みたいなことを言っていたといいますが、私は春馬さんの才能と実力だと思うのですが……
小学校高学年あたりからオーディションに行くと、柳楽優弥さんに会うことが多かったといいます。
お互いに顔は知っているけれど、話をすることはなかったようです。
後に、成人してから共演をするようになったといいます。
でも二人とも、お互いにそんなに深くかかわることもなかったようですが、お互いに言葉を交わさなくても分かり合えるような感じだったとお互いに言っているようです。
子役出身同士、今は声をかけないほうがいいだろう、とか、きっと今はこんなふうに思っているのだろうとか……
今年の映画「太陽の子」の挨拶の時に、柳楽優弥さんは春馬さんのことをライバルであり戦友だったと言っています。
あの時の柳楽優弥さん、監督が春馬さんの名前を意図的に出さないのに、彼ははっきりと「春馬君」と名前を出して、春馬さんのことを話してくれました。
嬉しいですね。
「僕のいた時間」
私は、春馬さんが亡くなったと聞いてから数カ月の間は、動いている春馬さんの動画を見ることができるのに、写真は辛くて見ることができませんでした。
だから初めの頃は、「キンキーブーツ」の短い動画ばかりを見ていました。
そのうち、他の動画も見ることができるようになり、ある時「僕のいた時間」というドラマを見ました。
春馬さんのことがあるまでほとんど動画というものを見たことがなかったので、動画というものをよく理解していませんでした。
だから、動画で見た「僕のいた時間」は、たぶん違法のものだったのでしょう。
最初見たものの続きを見ようと思ったら、見られなかったり、いくつも飛んで見られたと思ったら、凄く話が進んでいて、まだ何とか体を動かせたのに、次に見た動画はかなり病気が進んでいて驚いたり、という事がありながら、見終わりました。
非常に難しい役どころだと思いましたが、春馬さんは本当によく演じていると思いました。
後で知ったのですが、あのドラマは、春馬さんが 自分からやりたいと企画したドラマだったそうです。
でも、春馬さんはとことん突き詰める人です。
あのドラマでは筋ジストロフィーの役でしたので、本人は運動もできずに痩せていくわけですから、春馬さんはリアルに痩せるために、本当に運動をせず食事量を減らして減量をしたといいます。
でも、実際は精神的に大変きつかったようです。
気持ちが落ちてくるのだそうです。
そりゃそうですよね、去年でしたか、春馬さんのお母さんがそのことを言っていました。
ただ、そこは春馬さんは乗り越えたと思います、だから、お母さんが言うように亡くなる原因が、20代前半のことが30歳まで影響しているとは思えません。
精神に影響している人は、あんなに力強かったり、美しかったり、繊細さがあったりはしません。
しっかり乗り越えていると思います。