「僕のシンデレラ」と
「ラストシンデレラ」の番宣なのでしょう。
春馬さんと共演をした篠原涼子さんと藤木直人さんが話しているのを見ました。
藤木直人さんが、初めに「ラストシンデレラ」の台本をもらって、パラパラと全体の感じを読んでいたら、その中に「春馬君が僕のシンデレラ」というセリフがあって、こういうセリフは照れて難しいと思ったというようなことを言っていました。
篠原涼子さんも、それに対して「わたしもそう思ったけれど、春馬君は全く自然に言っていた」と春馬さんのことをほめていました。
それを聞いていて改めて、何気なく聞いていたセリフだったけれど、確かに照れるだろうな、そうなると妙に力が入って不自然になりやすいでしょうね。
でも、それに対して春馬さんは何のテレもなく「めったにない経験ですから」という言葉で返していたのが、とても印象的でした。
春馬さんがどんな役もこなせるのは、素直さがあるからと思っていましたが、それだけではないような気がしました。
何と言えばいいのでしょう。
春馬さんにとっては、「ラストシンデレラ」のようなラブラブの演技も「進撃の巨人」のようなハードなアクションものも、あまり違いがないのかなぁ、と私が個人的に思いました。
どれもすべての役が、その時その時に演じるのは自分ができる精いっぱいの力を出し切ることであって、そこに恥ずかしいとか照れるということはないようです。
たしか「ラストシンデレラ」の時は、見てくれている人に夢をというようなことを監督さんだったと思いますが、言われたというようなことを言っていました。
春馬ローラの姿でFNS歌謡祭に出演をしたときに、ローラの姿で恥ずかしさはないのか、という事を聞かれての春馬さんの答えは、その役になってしまうと全く恥ずかしいという気持ちはないと言っていました。
プロ中のプロです。
まずはコピーから
音楽の勉強をしようと思いたったら、先生を探すより先に、好きなアーティストの音楽の演奏をひたすら聞いてマネして見る事につきます、と斉藤先生は書いています。
「コピーしたらオリジナリティがなくなるのでは?」という質問も時々されますが、簡単にコピーできる部分は、表現も凡庸で、多くの人が身につけることができますので、表現の世界の表層でしかありません。あなたのその表層の奥の方に、オリジナルな音楽が眠っていて、あなたにたどり着いてほしいと待っていたなら、いつか天才と呼ばれるもしれません、と斉藤先生の言葉が続いています。
斉藤先生のこの言葉は、音楽だけでなく芸術系文系に通じる話だと思います。
初めはまねることから、と何かで聞いたことがあります。
簡単にまねることができることは、オリジナルではないかもしれません。
その奥にあるオリジナルは、そう簡単には見つからないのかもしれませんが、またこれはまねたい、自分の中に取り入れたいと思ってもなかなか難しいということもあります。
斉藤先生は、オリジナルのことを書いています。
まずはコピーしてみる事と使いこなすことを勧めるのです。そしてそれが心にしっくり来たなら、その瞬間にコピーではなくなります。
自分の魂の歌になり、聴く人もそう感じます。
春馬さんは、そうやって自分のオリジナルをつくって来たんでしょう。
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